都内ならではの、注意が必要な特徴
こんにちは。以前記事でも書いた社会不安障害用の教材が
(http://www.xn--l8jua0q685m3mce80bf8nx1x.xyz/)がなんとなく板についてきたtetsukoです。
さて、私の住んだ事がある”東京都”では、都内ならではの”あるある”があります。
それは東京23区とそれ以外と都内でも2つに分かれる、と言うことから生じるあるあるです。
まず一点目は、山手線ゲーム等の飲み会用のゲームで
東京23区を順番に言っていって言えなかった人が罰ゲームということがよくありますけど
意外と生まれも育ちも現在も東京23区というとでも23個全部言えなかったりほとんど知らなかったりもするらしいです。
だから部外者の私がほとんど言えないからってバカにされることはありません。
そして逆に東京23区以外の人は東京23区内に張り合いを持っていることが多く、
例えば東京の多摩地区の町田に住んでる人に、町田は町田市で区ではないのですが東京都内なので、
町田って何県など東京とは認識していなかった!と言う発言をすると、
本当に知らなかったとしても東京23区に住んでる人は東京23区以外の事は東京と認識していないのだね〜
と突っ込まれたりします。
このように東京は日本で1番栄えてる地域だと思いますが
東京都内でも区の地域と市の地域があるので、なんでこのような分かれ方をしているのかはわかりませんが、
東京23区を全て把握するよりも東京23区以外の市を把握していたほうが
世渡り的には良いんじゃない?とい思う機会が結構あります。
私も以前、このことを把握していなく国分寺に住んでいる友達に、
国分寺で埼玉県のあたり?と本当に知らずに言ってしまい、
その後しばらくネチネチと文句を言われた経験があります。
なので都内ならではの注意が必要な特徴ですね。。。
私は人が信じられない
私はアラサーの独身OLで、両親と一緒に暮らしています。
それにもかかわらず、私は多くの時間を両親と過ごしています。
友達はいなくはないのですが、遠方に住んでいたり、結婚していたりと、なかなか会える距離にはいません。
でも、それが一番の理由ではありません。
私は人が信じられないのです。
驚く人もいるかもしれませんが、私は人見知りをしません。
初対面の人とでも普通に楽しくおしゃべりできます。
というより、むしろ初対面の人の方が楽かもしれません。
親しくなり、相手や自分の人となりを分かってしまうと、どうしていいのか分からなくなります。
つまり距離が近くなることがとてもとても苦手なのです。
自分はちょっと変わった性格なのを重々承知しているので、それを受け入れてもらえない感じがするのです。
嫌われるのが怖いのです。
こうなったのは小学六年生の時のいじめが原因でした。
その前後でもいじめられたり、いじめたりというのは多かれ少なかれあったのですが、
その時の経験は特に強烈に今も残っています。
それ以来、なかなか人を信じることができないのです。ゆえに親しくなっても、どこか距離をとってしまいます。
でも、私が人を信じていないということは誰かに話すことはしません。
だって、その悩みを打ち明ければ、その人のことすら信じてないということが分かってしまうからです。
そんなわけで一人でその悩みを抱えて、いつも悶々としています。
いい大人になってもまだ、この悩みを抱えているなんて昔は思いませんでした。
そしてまだ実家暮らしを続けるとも予想していませんでした。
食費も入れず、甘えっぱなしです。先週扇風機が壊れたらすぐに父が新しいものを買ってくれたし、
部屋で熱中症になってはいけないからウォーターサーバーも設置してくれました。こちら
いつか人を信じられるようになると希望を抱いて、今まで生活を送ってきたのです…。
これから先、人を信じられることはあるのでしょうか。アラサーになってしまった今、
その悩みを解決するのはもう難しいのでは、と悩んでいます。
結婚式のゴタゴタ・・・
私の過食を加速させたもうひとつのきっかけ。
それは、もともとの緊張しやすい性格と、短期間での離婚です。
結婚式ってキラキラしてて、幸せにあふれていると信じていた2年前の話です。
当時の私は、彼や彼の家族にイライラさせられっぱなしの日々を送っていました。
まず、結婚式をしたいと報告した時点で「派手にはしないで、小さい結婚式でいいわよね。
近くにいる親戚だけ呼んで、小さい結婚式にしましょうね。」と。
この時点でイラッ!
彼とは前々から友人たちも招待して、結婚の報告と感謝の気持ちを伝えようと決めていました。
それなのに、私たちの話を聞きもしないで一言目がこれって…。
そして、いざ彼側の招待客を聞いてみると…なんと両親と姉しか出席しないと言い始めたのです。
もう意味がわからない!!と混乱してしまいました(;o;)
それをしれーっと報告してくる彼にもイラッと…。
そんなことになるのなら、もう結婚式なんてする必要ないし、もう一度両家で食事会するだけでいいじゃん…と思い、
プランナーさんに相談することに。
この時点でキャンセル料などはかからないとのことだったので、
本当に結婚式なんてやめよう!と思っていました。
しかし、プランナーさんが彼のご両親を説得したらしく、結局キャンセルは引き止められました。
そしたら今度は「遠方の親戚まで呼びたいから、宿泊の手配をしてほしいんだけど。
あと、夫婦できてくれるらしいから。」と彼パパ(;o;)
最初に近くの親戚だけ呼んでって言っていたから、私側は遠方の親戚は呼ばないことにしていたのに…。
本当にこちらの事情なんて無視して、自分たちの事情ばかり押し付けてくる自由な彼家族。
そのくせ、プランナーさんが説得したからなのか、私ばかりが結婚式をしたがっている…という扱い。
私なりに色々な方面に気を遣っているつもりなのに…(;o;)
こんなゴタゴタ友人に話してもネタにされるだけだから誰にも言えないし…。
毎日毎日胃が痛くて、結婚式前なのにどんどんやつれていきました。
最後までゴタゴタしながら、さらにお金の面でももめながらも結婚式は無事に終了。
でも、結婚式が終わってからも、お金がかかる嫁扱いは変わらず。
原因はそれだけではありませんが、結局結婚式から半年後に離婚しました。
その後私は社会不安障害気味になってしまい、少し不安定に。
通院はしたくなかったので自分で改善用のプログラムを取り寄せて克服した感じです。
参考:http://www.xn--l8jua0qs23ieod484b7sv4w3c.xyz
結婚式をしなければ、離婚することもなかったのかな…と思ったこともありましたが、
あんな家族と縁が切れてよかったなぁ…と今では思います・・・
1対2で不倫中
私の姉は結婚して15年になります。
旦那は9個年上で昔から淡白な人だったそうです。
タバコもお酒も飲まない仕事人間。
姉は基本的には世の中で言う「構ってちゃん」
結婚初めの頃は主人も沢山構ってくれていましたが長く一緒にいるに連れ、
子供も出来たせいかセックスレスに。
お義兄さんは年のせいか営みはやらなくても平気だそうです。
姉は正直そうはいきません。
1番感じられる年頃に抱かれないという可哀想な女です。
女性として1番いい時期と言われる年齢です。お義兄さんにも何度か相談したらしいけどそのたびに喧嘩になり夫婦仲は更に良くなりませんでした。
主人に求められなくなった姉にとって何処に求めたら良いのか。。
結果的に他所にとなりました。
初めは遊び心。求められたさを感じたい。女でいたい。女として扱って欲しい!それだけだったそう。働いていて育児もしている姉には出会いなどありませんでした。
どうしたら出会えるかな?と考えていたところ出会い系サイトに手を出しました。
初めは知らない男性とチャットできれば良い。それだけだったようですがチャットをしているうちに段々相談事に変わり自分の寂しさを埋めていくような感覚にとらわれるんだそう
そして都合よく会ってもらえる人を探しているうちに出会う事が出来ました!
今、お相手の方は二人いて二人とも既婚者とのこと。
二人とも相手は僕だけ。と思っているらしく、聞いているこちらも気の毒になります(^_^;)
一人だけで良い!と思っていたはずが探しているうちに二人になってしまい、断るにも断れなくズルズルと一年になってます。
会うのは週代わりに自分で調整して昼間会ってるみたいです。
自分を女として扱ってくれて女子力を上げてくれる、昼顔女にしてくれる二人とのこと。
最近はバストアップ教材(ご参考:こちら)も取り寄せて、スタイルアップに精を出しています。
これからも誰にも言えず続けられる限り関係をもつつもりというので、妹としては何も言えません。
私も私のことでいっぱいいっぱいだし、とやかく口を挟むつもりはないんです。
どん底時代に出会った「心の力の魔術」という本
その頃、花の女子高生というにはほど遠い所にいました。
父親は小学4年の時に病死していました。(;_;)
母親は生活費を稼ぐためいつも働いていて貧しかった記憶があります。
私は定時制高校に通い昼間は時計工場へ行き、夜は学校という毎日を送っていて、暗い日々でした。
さらに工場にいるのはパートのおばさんやおじさんばかり。
学校でもやる気のない人ばかりというような環境に
早くも高校1年でいるという現実に愕然としていました。
将来への展望もないままふらっと立ち寄った小さな本屋さんで、
「心の力の魔術」という本に出合いました。
作者はダビッド・J・シュワルツというアメリカの大学教授です。
この方も生まれは小さな農家だったそうです。
今は盛んにPRもされている「自己啓発」の本の類ですが、
当時のまだ16歳の時には知る由もありません。
たぶん、心の魔術という文字に惹かれたのだろうと思います。「心という不思議な道具を使えば、願いが叶う」というのです。
当時の私には、お金も無い、後ろ盾も無い、能力も無いのないないずくしでしたが、
心ならばなんとかなるだろうと思ったのでした。
早速私はこの本を買って帰りました。
その時の気分は、ハリー・ポッターが魔法の杖を手に入れた時の気分といったところでしょうか。!(^^)!
悩みを無くして人生から欲しい物を手に入れるにはどうすればよいかが、事細かに書いてあり、こういった考えをする人は私の周囲にはいませんでしたから、目から鱗でした。
その後も過食のようにたくさんの困難がありましたが、頑張れる原点になっているのがこの本です。
今は痩せたり太ったりする体のコントロールに必死です。
痩せたり太ったりを繰り返しているうちに、胸がサイズダウンしてしまい
とても落ち込んで居ました。
でも北海道在住の姉が、バストアップのプログラムをプレゼントしてくれたので
今はそれを参考にしています。ご参考;札幌市でおすすめの豊胸プログラム
今で2週間目ですが、デコルテがふかふかしていて
ちょっと胸の開いた服でも見栄えがするようになってきました。
ちなみにその後、本が言っている通りにして、昼間の短大に無事進学できました。^^
吐かない過食症もある
私はずっと吐かないタイプの過食症でした。
過食後に、例えば生クリーム系の菓子パンなどを詰め込んだあとは、気持ち悪くなってリバースしそうになったこともありますが、結局1度も吐いたことがないんです。
私の過食の原因は痩せたいと言うよりは他人に対する異常な緊張から起きていたので、体重よりもどちらかと言うと肌荒れの方が気になっていました、
以前更新した断食道場では吐かないタイプの過食の子も結構いて、かといって便通もあまり良くないので胃袋が目に見えてパンパンになっている子がいました。
聞けば断食道場に来るまでの電車の中でもひたすら菓子パンを食べていたとのこと。駅のホームの売店で、買えるだけのお菓子とおにぎりと菓子パンを買い込んで席に着くなりカバンをガバっと開けて袋をバリバリ開けて食べていたので、横に座ったサラリーマンの男性が唖然としていたそうです。
今彼女はだいぶ過食が落ち着いてもうじき断食道場出られる位だと思います。
素行去っても多分また過食が出て落ち着いての繰り返しで少しずつ良くなっていくんだと思いますが…
私が過食で得たものは肌荒れと蕁麻疹と後は視力の低下です。
昔小学生の頃に漫画の読みすぎが原因でいちど視力が落ちたことがありました。
その時はその頃住んでいた地元で父親が探してくれた視力回復教材で回復できました。
(ご参考 http://www.xn--tfr02h7vjl4hj5al65k.xyz/)
なのにまた見えが悪くなって来てさらには飛蚊症とかいろんなことを併発しているように思います。。。
いきなり血糖値を上げるのって目にも良くないらしいですね。かかりつけの眼科医さんが言っていました。
ちなみに私の眼科医さんは、おやつはアーモンドとかソイジョイとか、血糖値を急激になげないものを食べているそうです。60くらいの男性なんですけど、なんだか女子っぽくて素敵です。
全身てつながってるんだなぁ、と過食になってから感じさせられています。
地方の断食道場にて
こんにちは先週にかけて急激に温度が上がり体調崩してる人もいらっしゃるかもしれませんね。
4月までは結構食べたい衝動が強かったのですが急激に気温が上がるとあまり食欲がわきません。
こんな時に食べるとすれば私は無性にチョコミントのアイスが食べたくなります。
そういえば先日お話しした断食道場では、出されるもの以外は一切食べてはいけませんでした。
田舎のほうにあるのでコンビニとか少ないのですが近くにスーパーマーケットがありなかなか誘惑でした。
道場で出されるのは野菜やフルーツを使ったジュースと、マクロビオティックの夕食のみです。
許可された人のみ玄米がつきます。
あとは先生の講義を聞いたり、昼間は時間になると合図が鳴って運動したり、気分が乗らなければ読書をしたりパソコンしたりみんな思い思いに過ごしていました。
岩盤浴の施設もあるので毎日そこに入ることも許されました。
施設に入る前は全身蕁麻疹だらけで顔はパンパン、毛穴も開き放題でしたが、施設に対してたった4日か5日で見違えるくらい美肌になりました。
ちなみに道場でお世話になった先生は、これまでたくさんの家族の女性たちをサポートしておられ、他にも様々なビジネスをされています。
私の地元にある英語教室も実は先生の奥様が出かけられていると知りびっくりしました。
小さくですが最後のリンク集に載っています。http://www.xn--6oqp91a7xby1lq3fl35bb8k335a.xyz
初めてその先生にお会いした時、両親の事について聞かれました。
どこにでもいる普通の両親だと思うんですが…
先生は一言、"それは辛かったねずっと緊張していたでしょう"と一言言われました。
えっ…?と言う感じでした。
"緊張していたでしょう"というひとことが、ずっと心に引っかかったのです。
そう私の過食を引き起こしていたのは他人に対する過度の緊張でした。
その緊張から逃れるために、人目が消えた瞬間に、咳を切ったようにものを口の中に詰め込むのです。
つづく